1975-06-17 第75回国会 参議院 地方行政委員会 第12号
しかも愛国党というのは、何でしょう、一九六〇年の浅沼委員長の暗殺事件、それから翌年の嶋中事件の犯人、これはどちらも愛国党の党員ですよ。だから、そういう個人テロをやるきわめて危険な右翼団体であることがもうはっきりしているんですよ。
しかも愛国党というのは、何でしょう、一九六〇年の浅沼委員長の暗殺事件、それから翌年の嶋中事件の犯人、これはどちらも愛国党の党員ですよ。だから、そういう個人テロをやるきわめて危険な右翼団体であることがもうはっきりしているんですよ。
洗脳の手記と題する自己批判書を書き、その中で、かつて私は日本帝国主義の手先であったと深刻な反省をした人であり、そうして日本に帰ってきてから、あれは早く帰国せんがための手段であったという手記をまた書かれた人であり、そうしてまた、昭和三十五年、ハガチー事件の勾留理由開示公判で、裁判官を侮辱したとして、弁護士を監置二十日間という最高刑にして、東京拘置所に拘置した人であり、三十六年二月には、中央公論社の嶋中事件
○志賀(義)委員 嶋中事件が起こりましたときに、警察庁から特に危険な行動団体として松葉会の名前を入れた名簿が、やはり地方行政委員会並びに法務委員会の連合審査会に出されております。その松葉会に四天王があり、その四天王の名前がわれわれにもわかっている。われわれは特別公務員で、法務委員でしかありません。
この嶋中事件というものは、皇室に対する名誉棄損をした深沢七郎、嶋中中央公論社長こそ、このテロの直接行動の直接原因と断言するということで、いろいろあげておられますけれども、さようなことの警告を当時発しておられるわけでございます。
あの当時は嶋中事件も起きてにぎわしたのです。ですから、要するに右翼の政治暴力を取り締まる法律案ということなら話はわかるのです。その経過を知っていながらこれでごまかそうとする。これが第一点。 もう一つ、これは名前は申し上げませんが、おたくの、法務省の人がある雑誌にこういう論文を書いているのです。
それと申すのも、われわれに配られました資料によりますと、昭和三十六年の閣議決定によりまして、政府は当時の暴力事犯に対処いたしまして、これは特にわが党の当時の浅沼委員長が日比谷の公会堂における三党立ち会い演説会で公衆の面前において暗殺をされ、引き続いて嶋中事件等が起こってまいりました当時の情勢の中に、政府は対策を閣議決定をされたものだと了解をいたすのでございまするけれども、その中にはいろいろなことが書
それからその次は、三十六年に入って、嶋中事件で女中さんが殺された、こういう事件がございます。 その次は、三無事件、これはきのう判決があったようでありますが、三無事件。 その次が、三十七年に入りまして、目黒の三光タクシー労組の丸山委員長が刺殺されたという事件がございます。これはどうなっておるのか。
それはかってこの問題が問題になりました際は、嶋中事件あるいは浅沼事件に関連いたしました右翼テロに関する問題でございました。右翼テロは申すまでもなく日本国憲法の基本的原則である民主主義というものに触れる基本的な問題だと私は思うのです。今回のにせ証紙も私は同様だと思います。
もしもそれが、かのおそるべき浅沼事件、嶋中事件、河上丈太郎氏刺傷事件等の一連の反動右翼の思想、行動を背景として起きてきたファッショ・ムードの中で運動が提起されてきたと感ぜられる節があるとするならば、これについて治安責任の地位にある法務大臣の御見解を承りたいと思います、さらにまた、その背景をなすものの中には、特に旧職業軍人団体を中心に、不敬罪の復活、伊勢神宮、靖国神社の国家祭祀の問題、さらには民主主義
それがちょうどいまの情勢と同じでありますから、いまの事態も浅沼氏があの立ち会い演説のところで暴力団に刺され、嶋中事件とかいろいろな事件が起きて、さらに先般の選挙でも暴力が使われて、これはあとでも質疑したいと思いますが、東知事選挙対策本部は小暴力にたくさんの金を出して、そうして選挙妨害をしておる。選挙運動にまで暴力がきておる。ところが、その暴力はちっとも取り締まられておらない。
○竹内(壽)政府委員 暴力団の対策といたしましては、御承知のように昭和三十五年十月の例の浅沼事件、それから三十六年二月の嶋中事件を契機といたしまして、社会党と民社党の中からこの種の政治暴力を一掃すべしという強い御主張がありましたし、また与党の自民党におかれましてもその必要を認めまして、去る三十八回国会でございましたか、民社党並びに自民党共同提案の形式で、いわゆる政防法案を提案されたわけでございますが
○坪野委員 本法である程度の効果が期待できるということで本法が必要だ、とりあえず当面の暴力対策として本法を出したという御答弁のようでありますが、私は昭和三十六年の三十八国会でありましたか、いわゆる嶋中事件が起こった直後に、総理に対して法務委員会、地方行政委員会の連合審査会でお尋ねしたこともございますが、政府の抜本的な暴力対策というものをはたしてお持ちなのかどうか。
○岡田宗司君 あなたが法務大臣として公安調査庁をかばわれるのは、これはあなたの職責からしてやむを得ないことだと思うのですが、とにかくもっと活動が十分であったならば、浅沼事件のあとにすぐにああいう嶋中事件なんというものが起こったり、あるいは三無事件がさらに続いて起こったりというようなことも未然に防止できたかもしれないのですね。
次いで間もなく嶋中事件が起こり、たび重なる右翼の言論封殺行動に対し、国民は、再び日本を戦前のような黒い霧で取り巻こうとするものではないかと大きな怒りを発しました。その声に応じて、安井さんは山崎さんを見習って職を辞して責任を明らかにするのかと思いましたが、さにあらず、今日なお恋々として、そのいすにしがみついております。
御案内のように、右翼関係の活動が漸次活発矯激になって参りまして、浅沼、嶋中事件等が起って参りましたので、公安調査庁といたしましても、従来より以上に右翼関係に力を入れることといたしましたので、昭和三十五年、六年、本年度もさらに右翼関係を重点に置いて調査をしたいというふうに考えておるわけでございます。
しかし今回の事件を、いろいろと今日まで報道されておった面を考えてみますと、嶋中事件あるいは浅沼事件のごとき、右翼とは申しながらも未成年者がやったということではなくして、一応成年でもあり、また妻子もあり、またそれ相応の経歴も持っていらっしゃるという、いうならば良識ある社会人とさえも思われていた人がこの中に含まれて、不穏な計画をたくらんでおったということは、われわれといたしましても黙視するわけには参りません
しかしながら前の浅沼事件、嶋中事件等の経緯にもかんがみまして、その後必要な政府、または与野党を問わず政党の要人、その他被害を加えられるおそれのある方に対しては、必要に応じて警護を続けておるわけでございますので、そういう点についての心配はいたしておらなかったわけでございます。
○宇野委員 たまたま話が旧軍人グループになったのでございますけれども、いわゆる右翼対策に関しましては、今春の嶋中事件を端緒といたしまして、国会におきましても論議が尽くされて参りました。
浅沼事件、嶋中事件以後、警察におきましては、右翼テロその他直接行動の未然防止に最大の努力を払って参ったのでありますが、本年当初以来、一部右翼の言動の中には、緊迫した国際情勢、また軍事基地闘争や政防法闘争などの現状から、共産革命への危機感を深めるとともに、一方これに対する政府の施策にあきたりないものがあるとして、批判的傾向を強め、さらに五月、韓国に発生したクーデターに拍手を送るような向きもございましたので
○国務大臣(植木庚子郎君) 浅沼事件あるいは嶋中事件以後における右翼団体等の急進分子に対する調査その他どういうふうにしているかという御質問がございました。その点についてお答えいたします。 ああした不祥なる事件以来、法務省所管の公安調査庁当局といたしましては、右翼の動向についても十分気を配って調査を進めておるのでございます。
右翼団体に対しましての公安調査庁当局におきましてのその後の調査は、浅沼事件、嶋中事件等が起こりますあの前におきましては、仰せのとおり、やや経費の充当の仕方、人員の配置の仕方等の点についても、遺憾の点がないことはなかったように感ぜられましたので、あの事件以来、人員の配置も特に増加いたしまして、経費の配分におきましてもこの点に留意をして、そうして団体の動きを極力でき得る限り綿密に調査をすることを進めておるのでございます
浅沼事件、嶋中事件以後、警察におきましては右翼テロの未然防止に最大の努力を払って参ったのでありますが、本年当初以来、一部右翼の言動の中には、緊迫した国際情勢また軍事基地闘争や政防法闘争の現状から、共産革命への危険感を深めるとともに、一方これに対する政府の施策にあきたらないものがあるとしての批判的傾向を強め、さらに五月、韓国に発生したクーデターに拍手を送るような向きもございましたので、このような情勢の
御承知のとおり、昨年の安保騒動以来、淺沼刺殺事件、嶋中事件と右翼テロの頻発を見ました。テロ行為によって、自己の政治上の主義主張に反対する者を殺傷することは、戦前の日本の最も忌むべき風潮でありましたが、これはまさに民主主義の敵であり、議会政治の根底をくつがえす行為であります。暴力から議会政治を守り、民主主義を擁護すべしというのは国民世論であります。
当時、委員長を失いまして、続いて嶋中事件が発生した。この嶋中事件に関連しまして、私は予算委員会の部屋におきまして、あなたに対して、国家公安委員会の責任を追求しました。当時、国家公安委員の中で出席常ならず、しかも国家公安委員としてふさわしからぬ言動をするという一、二の公安委員につきまして、これを糾弾しました。ところが休会中再び政府は、私が指弾いたしました国家公安委員を任命した。